じぶんインタビュー

愛情を伝え、
健康を守る料理。
台所道具を通して、
その喜びを伝えたい

AYA|田中文(たなか・あや)さん

キッチンパラダイス店主

福岡県出身。2001年、福岡市にキッチンパラダイスをオープンする。道具を通して料理の楽しみを知る人を増やし、自分や家族の健康への考えを深めることを広めていきたい思いが仕事への原動力。料理研究家の桧山タミ氏に出会って方向性に確信を持つように。氏の著書『いのち愛しむ、人生キッチン』、『みらいおにぎり』(共に文藝春秋)では、企画等を担った。また、雑誌『天然生活』(扶桑社)における連載「桧山タミの今日も空をみあげて」でも、聞き手と文を担当。台所道具のアドバイザーとして、また食の大切さの伝え手として、講演、各種メディア出演多数。開店後間もなく始めたブログ『AYAの台所道具』をほぼ毎日更新するほか、コロナ禍でインスタライブも開始。趣味はアコースティックギターと読書。苦手なことは経理。ご本人曰く自身の性格を一言で表すと「ポジティブ」。

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「子育てとの両立」なんて、まったく考えずに始めて

キッチンパラダイスを始められたきっかけは、カリフォルニアに短期留学されていたとき、ホストマザーとの毎日の待ち合わせ場所だった、キッチンツールの専門店だそうですね。

AYA主なきっかけは、そうですね。あとは、海外出張が多かった父が、料理上手な母へのお土産としてキッチンのものをよく買って来ていて、私も楽しみだったこと。それから、私は二十代の後半に結婚しているのですが、新生活を始めるにあたって台所道具を買い揃えようとしたとき、専門に扱う本格的なお店が見つからなかった経験も影響しています。せっかくだからよいものをと、東京を含め、方々を当たったんですよ。でも雑貨屋さんしかなかったんです。雰囲気重視で、詳しく説明したり提案したりしてくれる店員さんにも出会えなかった。

言われてみれば。キッチンのものも扱う雑貨屋さんは比較的多いけど、キッチンパラダイスさんのように、スタッフみんなで何度も使い勝手を試して、だから詳しく説明もできて…みたいな感じではなさそうです。

AYAそうなんですよね。カリフォルニアの、あのお店のオーナーのおばあちゃんは、なんでも教えてくれたんだけどなぁ、と思いました。

それでお店を?

AYAおしゃべりが好きで、前職ではフリーで司会だとかナレーションだとか、話す仕事をしてました。店を持つのが夢だったわけではないんですよね。たまたま当時の夫が、カナダのシステムキッチンを輸入販売するというので、それに乗るような流れで、では私は店を開こうと。

思い切りましたね。

AYA商売をする家に生まれたので、起業自体にはさほどの抵抗はありませんでした。元夫は開店に前向きではなかったのですけど、うちの両親はすぐに賛成してくれましたね。父には「絶対成功する!」と太鼓判を押されました(笑)。商売に向いていると見込まれていたみたいです。

向いてましたか。

AYAこれだけ続いてますしね。でも、私の商売っけのなさには店のスタッフも呆れ気味ですから、どうなんでしょう。儲けようという方向には意欲が向かないですね。

あはは、そうなんですね。軌道には、すぐに乗せられましたか。

AYA開店準備中に妊娠がわかって、開店後も3年くらいはもう、いっぱいいっぱいでした。「子育てとの両立」なんて、まったく考えずに始めたんですよ。でもその子育ては、いまで言うワンオペでしたから、とにかく時間的に大変で、常にクタクタでした。

あぁ、それはしんどいですね。よくやり通しましたね…。

マンションの一室を、キッチンパラダイスの事務所兼ラボにしており、ここで台所道具のお試しや比較などの“実験”も行う。

桧山タミ先生との出会いに救われて、喜びを得た

AYA気持ちの面でも苦しかったんですよね。ほかのお母さんの、「子どもにシュークリームを手作りした」とか、耳に入ってくるじゃないですか。そういうのがプレッシャーというか…。

負目みたいに。

AYAそうなんです。できていない自分に焦るんですよね。そんなときに、料理研究家の桧山タミ先生との出会いがあって、救われた思いでした。

桧山先生とはどのようにして出会われたのでしょう。

AYA母が、先生に料理を習いに行けと言ってきて。そうはいっても、いっぱいいっぱいでしたから、そんな時間も心の余裕もありません。それでも母が、台所道具の店をやるからには、習うほうがいいと強く勧めるもので、もう、半ばおつきあいで、一回だけ受講すればいいかという気持ちで出かけました。

それがよかった。

AYAはい!お話を聞きながら、だんだん開眼したかのような気持ちになっていいきました。スキップして帰って来ましたから!

ス、スキップは、大人はなかなかしませんね(笑)。

AYAですよね。でもほんとにしたんです!料理の仕方とかなんとかではなくて、もっとずっと本質的な、大事な内容だったんです。

先ほど、救われた思いとおっしゃいましたよね。

AYA桧山先生が、手をかけることだけが愛情ではないとおっしゃって。あのときそう言ってもらえたのは、本当にありがたかったんです。手をかけるところを間違えちゃいけない、料理にかけた時間は短くても気持ちは伝えられるって。おいしく炊けたごはんとお味噌汁に、蒸した野菜でいい、あとは会話があればいい、「料理はね、思いだけでつくるのよ」って。

シュークリームに負目を感じなくていいんだと。

AYAそうなんです!そして、私が扱っているのは台所道具。それらは、豪勢なものをたくさん食べさせるためではなく、手早くおいしくつくるための道具でした。桧山先生に出会って腹落ちして、方向性に迷いがなくなりました。自分のしていることもスッと肯定できるようになったんですね。大切な人の健やかさを育てる…私にとっては娘の命と健康を守るのが料理なんだ、おいしくできる道具を介して、そういうことを伝える仕事をするんだと。

いい出会いでしたねぇ。桧山先生はもちろんのこと、それほどの出会いをつくってくれたお母さまも素晴らしいですね。

AYAそうなんですよ。母は実はすごくって、こういう、大きななにかを左右する機会をさらっとつくってくれたり、のちに振り返ると感じ入るようなアドバイスをくれたりする人です。私はそのあと、桧山先生のマネージャーみたいなことをするようにもなるのですが、いつか母が、「先生に言われたことを書き留めておきなさいね」って言ったんです。先生のされてきたこと、考えてこられたことを、「先生より若いあなたが伝えていきなさい」って。先生が90歳になられたときに出された書籍の、企画や編集でお手伝いをすることで、あのとき母に言われてしてきたことを形にできました。

おお。

AYA桧山先生にはそれまでにも出版のお誘いが何十回もあったんですよ。でも全部断ってました。このとき私が出しましょうと言って、初めて首を縦に振ってくれたんですね。書籍にはたくさん反響があったんですよ。

先生の、AYAさんへの信頼があって実現したんですね。

AYAだとするとうれしいですね。私が桧山先生に教えてもらったことを、ほかの多くの人にも伝えることができてよかったです。

かつてのAYAさんがそうであったように、すでに頑張ってる人に、「もっと頑張らないといけない」ではなく、気持ちが楽になったと思わせてくれるところがやさしいですよね。

AYA本当に。料理も、それに子育ても、役割分担としてとらえるとキツいじゃないですか。そういうのを超えて、喜びにすることができたんですよね。先生にはこうも言ってもらいました。「大人っていうのは、みんなで子どもを育てるのよ」って。家と会社が一緒になったような家庭で大きくなった私自身、思えばそんなふうに育ててもらったんですよね。だから私も、娘が家にお友だちを連れてくるようになったとき、小腹が空いたら食べられるよう、いつもおひつを用意してから出かけることにしてました。

おひつを。

AYA大抵はおにぎりを入れました。ほかにはパンケーキとか、さつまいもとか。

わぁ、それは遊びに行きたいおうちだ。

AYAいつの間にか、娘のお友だちの、3〜4人の女の子が集まる家になってました。彼女らが小学校を卒業するとき、私のおにぎりがおいしかった、世界一だとお礼のお手紙を残してくれたんですよ。うれしかったなぁ。その子たちは、二十代になったいまも、ときどき遊びに来ますよ。

めちゃくちゃいいお話ですね。うらやましいです。

AYAさんは、当時もらったお手紙をいまも大事にしている。

店のスタッフについての悩みはゼロ!

ちょっとお聞きしたところによるとAYAさんは、お店のスタッフとも、お友だちのような、ご家族のような感じなのですって?

AYAあはは。それはひとえに私が社長然としていないからかと。ひどくおっちょこちょいですからね。子どもっぽいところもあるのか、「田中さん、かわいい」なんて言われるくらいで(笑)。

子どもっぽいとは、どんなところがでしょう。

AYA自分ではよくわからないんですよね。でも、大人ならあるのかな?っていうプライドはないですね。これは娘に対してもそうなのですが、ちょっとでも自分が悪いと思えばすぐに謝るし、カッコ悪いようなことも隠さず話すし。

それは素敵なことじゃないですか。

AYAあと、絶対田中家の血ですけど、忘れ物とか、うっかりとかが相当で。スマホのつもりで店の電話の子機やパソコンのマウスを持って帰ったりと、そんなことがたびたびあります。スタッフも慣れたもので、電話くれたと思えば、「田中さん、さっき持ってたバッグ開けて」なんて電話口で淡々と。「あー!なんでここに子機?」って、いつも私だけがびっくりしてる(笑)。

確かにちょっと、かわいいかもしれません(笑)。でも、スタッフが上の人にキツく当たられているお店って、お客さんからもなんとなくわかるものだと思うんです。いわゆる空気で。キッチンパラダイスは、実はそういった、見えないフラットさも、支持される秘密になっているのかもしれませんよ。

AYAそうですかねぇ。うちのスタッフは本当によくできた人ばっかりで、やさしいし、自然体だし、スタッフ様さまですね。仲がいいですから、店を離れたスタッフにもときどき会います。私が50歳になったときは、歴代スタッフほぼ全員、15人くらいがフランス料理のお店でサプライズの誕生会を開いてくれたんですよ。

よい方が集まっているのに加えて、やっぱり、AYAさんの接し方がいいんですよ。

AYAいえいえ、スタッフの面接のときに私は必ず、「私を許してくれる?」って聞いてるんですよ。

他者を許すことは大事には違いないと思いますが、店主が面接でその質問をするっていうのはまた、珍しいですね(笑)。

AYAそうなんですかね。だって寛容な人じゃないと、つきあい切れないんじゃないかと思って。

あはは。

AYAスタッフの多くが、店のお客さんだったんですけどね。だいたいがスカウトしてます。

なるほど、それだと料理が好きで道具に興味があって、お店のことも好きな確率がかなり高いですもんね。

AYAおかげさまで、みんな料理好きで、道具のお試しもいつも楽しみながら一緒にやっています。

会社でもお店でも、人に関する問題はよく聞かれますよね。経営者から、人材育成が一番むずかしいというのも。キッチンパラダイスは楽しそうですね。

AYAスタッフについての悩みはゼロですね。

ゼロ。

AYAゼロですよ。私には、これしてくれないのが不満だとか、あれだと困るとか、一切ないんですよね。そういうのをいちいち相手に求めない。あと、こういうお店ではよく、休みたいのに休めないって聞きますよね。うちは、休みたいときはどんどん休んでもらってます。本人や家族の健康のほうが大事ですから、残りのメンバーでなんとかできるようにする。なんだってお互いさまです。

キッチンパラダイスオリジナルの銅鍋は、桧山タミ先生の長年の愛用品を、新潟県燕市の職人さんに依頼して再現した自慢の商品(上段)。

悲しみを経て、いまが最高

おっちょこちょいでも、やっぱりよくできた社長さんではないですか。楽しくお仕事されているようですが、20年以上もやっていらしたら、立ち上げ時のみならず、大変なこともあったのでは。

AYA仕事より、私生活ですかね。離婚も経験してますし、なにより、2013年に二歳上の姉を亡くしたのはこたえました。

そうでしたか…。

AYA姉と私は全然違うタイプで、ベタベタした仲良しではなかったけど、強い信頼関係があったと思ってます。何年ものつらい闘病生活の末に、二人の幼い子どもを残して、建築士としての仕事もやり残して…だったんですよね。ずっと近くで病気と闘う姉を見てもいたので、しばらくの間、なんのために生きて死ななければならなかったのか、すごく考え込みました。考えるうちにだんだん、もっと生きたい姉がいたのに、私が人生を無駄に過ごすわけにいかないと強く思うようになって、姉の代わりに生きようとも思ったし、姉の分も両親を喜ばせたいとも思ったし。

あぁ…、おつらかったですね。

AYA姉のことが大きすぎてそれほどには感じられていなかった、同時期にゴタゴタしていた結婚生活は、姉が亡くなって少し落ち着いたころに、終わりにしました。

AYAさんがいま、楽しそうに過ごしていらしてよかったです。

AYAはい。いつが最高かと聞かれれば、いまと答えます!

娘さんは東京で編集者をされているのだとか。

AYAはい、新人編集者です。

AYAさんは読書が趣味だということですが、娘さんも?

AYA共通の話題はもっぱら本のことです。私と娘が似ているかはわかりませんが、共通点はとにかく読書が好きなことですね。ふたりとも人が好きですが、ひとりでいるのも好きなんです。

AYAさんも、ひとりが好きですか。

AYA意外だと思われましたよね?ひたすら読書に没頭したくて計画して、博多・東京間の夜行列車がなくなるとき、最後のそれに乗ったこともあるんですよ。16時間半ずっと読書する、ひとりイベントですね。いまは、客船に乗って長い船旅をしながら読書三昧、というイベントを夢見ています。

そんなに!

AYA娘は小さいときから自立心が強くて、お母さんと手をつないで歩きたがることもない子でした。私の意見をおとなしく聞き入れるタイプでもないのですが、本に関してだけは、「この本がおもしろかった!」と私が言えば読みますね。その感想がまたふたりの間で交わされて、会話が絶えることがありません。ふたりで古本屋巡りもするし、最近だと、一緒にブックホテルに泊まりに行ったのも楽しかったなぁ。

素敵な親子ですね。そんなに本が好きで、それで編集者になられた娘さんもとっても素敵です。ちなみに、AYAさんの座右の書というか、人生の一冊を選ぶとしたらなんですか。

AYAうーん、選抜した本だけを収めている本棚にも千冊はあって……。そうですね、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』かな。哲学書は好きですぐ買っちゃうのですけど、これも哲学の本です。この中でフロムは、「愛は技術である」と、鍛錬していくものなんだと言っているんですね。悩んだときに読むと前が開けるような気持ちになる、何度読んでも素晴らしい本です。

福岡の料理好きの間では知られた、常連さんの多いお店。

編集後記

スタッフに「かわいい」と言われることもあるらしいAYAさんは、屈託なくボンボンお話しされます。同じ調子で、「私には、これしてくれないのが不満だとか、あれだと困るとか、一切ないんですよね。そういうのをいちいち相手に求めない」とおっしゃいました。実はこれ、なかなかできることではないですよね。隙がないかといえば、かなりのおっちょこちょいみたいですし、そうかと思えばすごい読書家で哲学書を読み漁っていたり。人の意外性、多面性にはいつも惹かれますが、今回もそうでした。お客さんにAYAさんファンが多いのも納得です。

(2022年7月インタビュー)

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