じぶんインタビュー

現役時代につくった
「埋まらない空白」を、
いま、
地域の人たちと一緒に

中根 正(なかね・ただし)さん

特定非営利活動法人ちいきむすび 理事長

1946年三重県生まれ。小6で東京都杉並区に。慶應大学経済学部卒業後、新卒で宮崎の観光開発企業に入社。5年で退職し、食品事業を手掛ける会社を設立、冷凍食品の移動販売、レストランへの卸売などを行う。引退後に、自分の人生には「他人のために尽くす」ことが抜けていたと気づき、やり残した感を味わっていた中で、社会福祉活動に関心が向いていった。偶然から生まれた縁で、地元の子ども食堂を知り、NPO法人化を手助けするなどした流れから現職に。
趣味は自分でデザインする旅行と還暦を機に始めた書道。どちらも妻と共に。

ちいきむすび

終活の一環で引っ越し。その先で出会った子ども食堂

長くお住まいの杉並区内で、お引越しされたんですね。

中根さんはい。一年ほど前になります。夫婦の、終活の一環です。高齢者向けに設計された、警備会社の見守り機能を備えた賃貸マンションです。子どもも親がそういうところに住んでいるほうが安心だろうと、しばらく探していたんです。思い切って断捨離して、暮らしをダウンサイジングした上で、このまちに引っ越して来ました。

なるほど、終活ですか。「ちいきむすび」のご活動には、引っ越してから出会われたのだとか。

中根さんそうなんです。引っ越し先が、たまたま娘の親友夫妻の近所で、その二人がまちのいろんな情報をくれましてね。かねてボランティア活動に興味があったものでそれを伝えると、「ちいき食堂」の活動に取り組む女将を紹介してくれました。

「ちいき食堂」は、いわゆる「子ども食堂」の、子どもに限定しないご活動ですかね。

中根さんそうです。地域の、一部高齢の方も対象にしていますし、女将がオープンな人で、誰でも気兼ねなく利用できるようにとの考えを持って始めています。私もそれがいいと思っています。基本的には月に2度、300円か任意の金額の寄付でお弁当を購入できます。

中根さんは現在、その活動主体の、NPO法人ちいきむすびの理事長さんですよね。どのような経緯で?

中根さん2021年の暮れに、「ちいき食堂」を女房と覗きに行ったんですよ。そしたら想像を超えて楽しそうだったんですね。女将のキャラクターのためでしょうが、雰囲気が明るくて、すぐに好感を持ちました。なにかできることがあればという思いもありましたし、ときどき顔を出すうち、NPO法人化したいけど、そのための申請手続きがネックで…という話を聞きましてね。ならば自分がと、何度か役所に出向いたりして、一式行いました。その過程で、「理事長どうする?」となったときに、「やってよ」と女将に言われまして…、そんなつもりもなかったのですが、まぁ、私で役に立つならと引き受けました。理事長見習いというところでしょうか(笑)。

そうでしたか。理事長は予定外だったとして、なにかしらのボランティア活動には関わりたいと思っていらしたんですよね。

リタイア後に感じた、「埋まらない空白」

中根さん人のために精一杯になるということをしてこなかったとリタイア後に気づいて、それをずっと、埋まらない空白のように感じていたものですから。

リタイアしてから。

中根さん現役のときは、成功して認められることが正しいという価値観の中にいたんですね。他人を押し退けてでも、というくらい。

あまり、「何のために」などと顧みずに走り続けた世代、でしょうか。

中根さんそうなんです。高度成長の真っ只中に生きてきましたから、時代もあるとは思います。新卒での僕の初任給は1万円台でした。翌年は2万円台、次の年は3万円台という、いまでは考えられないような昇給のしかたでしょう。走って走ってどんどん昇っていくんだという、そんな時代です。

その勢いは確かに、その時代ならではですかね。

中根さんでは、我々は何をやってきたんだろうと。よく、「いまの豊かさはあなたの世代がつくってきた」なんて言ってくれる人がいますが、社会的にそこそこやって、「こんだけ築いてきた」って胸張って、立派な葬式あげてもらったら満足かって、僕はそうは思えませんね。

お仕事でも、誰かのために役立つ実感はおありだったのではないかと思いますが、いまのご活動を通してのそれとは違いますか。

中根さんあぁ、それはまったく違いますね。人間関係において気を許しきれないというか、いまのように手放しで喜びを感じられるようなものではなかったです。

いまは、手放しで。

中根さんはい。極端に言うと、だまされてもいいんです。もっともだます人はいないと思いますが、たとえいたとしてもです。純粋に、「この人たちの一食になればいい」と思えるんですね。対価がどうのと求めない。ちょっとニコッとしてくれたら、それはもう、とてもうれしいんですよ。

そういう世界に入ってくることができてハッピーですよね。

中根さん本当にそう。あのまま死ななくてよかった、生きててよかったと思います。

そんなに!

中根さん人のためになにかをするというのは、やはり大事なことです。自分だっていつ介護が必要になるかわからないでしょう。介護士さんとかに威張り散らしたり悪態ついたりするのは、人の世話をしたことのない人ですよ。私も後期高齢者の年齢を迎えましたが、あぁいうふうにはなりたくない。

人の世話をしたことのない人が…。いつもしてもらう側だと、なるほど、それは実際そうかもしれない。

中根さん世話をする側からすると冗談じゃないですよね。

中根さんは、ボランティアの中でも、子ども食堂のような活動に参加されたいとお考えだったのですか。

中根さんいえ、中には子ども食堂に関心があって、いろいろ調べてやって来る人もいるのですが、自分たちは違いました。

では、先ほどおっしゃっていたように、雰囲気のよさに惹かれて、なんですね。

中根さんはい。まず、僕らの娘と同じくらいの年齢の女将の、エネルギーがすごかった。本業の飲食店の傍ら、楽にできるはずもないことを、明るく楽しそうにやっています。

そういう人のサポートがしたいと思われた。

中根さんそうですね。最初に始める人のエネルギーは並みではないし、単にいいことしたいだけで続けられるものでもない。こういう、起爆剤になるような人を、どうサポートして、どう発展させるか。彼女の手の及ばないところを埋めたいと思っています。お手伝いする対象ができた、という感覚ですね。

これまでの社会経験を活かせそうですか。

中根さん活かそうというのはぜんぜんないですね。

そうですか。みなさんよく、「退職後も経験を活かして」とおっしゃるので。

中根さん僕がちょっと変わってるのかもしれませんね。これまでしてきたことと共通点がないのが新鮮なんです。まったくあたらしい、違う国で生きているくらいの刺激があります。

なんというか、若返りそうですね。

中根さん学生時代の仲間なんかに話すと、羨ましがられます。

ちいき食堂のお弁当の提供日。準備をするメンバーのみなさんで、活気ある店内。

次の文化のために、「じじぃ、どけろよ」

世代間交流みたいなものも活発なのでは。

中根さんボランティアの皆さんは、意外に若いんですよね。

意外に、とおっしゃいますと?

中根さん若い人は自分のことに忙しくて、こういうところにはあまり来ないイメージを持っていました。これも、僕らのときとは違う点でしょうね。

若い人をはじめ、いろんな年代の人たちと一緒にやるのは楽しいですか。

中根さん楽しいですよ。いろんな人と接することによって、自分だけでは知りえない事柄や、ものの見方を知ることができるでしょう。それによって自分を知るんですよ。そういうのが人生の喜びなんじゃないですかね。

素敵ですね。中根さん、NPOに向いていらっしゃると思います。

中根さんそうですか?始めたばかりで、僕も学びながらですけど、いろんな人に入ってきてもらいたい。お弁当を通しての交流に留まらず、いつ来ていつ帰ってもいい場づくりも実現したいと考えています。いろんな人が、いろんなスキルを持ち寄って、子どもたちに教える機会もつくりたいなとか。

寺子屋風に?

中根さんそうですね。習い事も、特にひとり親家庭などには経済的に厳しいことがあります。他方で、僕のように、この活動で仕事とは別のやりがいを見つけられる人もいますよね。教えたい人もいると思うんです。

子どもたちにとって、家庭と学校以外の居場所ができるのもいいですよね。

中根さんそう思っています。さまざまな人やことと出会って、さまざまな経験をしながら成長してほしいです。

人間、年齢と共に、あらたしいものを取り入れたり、人から学ぶのがむずかしくなっていく傾向があるのに、中根さんは柔軟なんですね。

中根さんいや、そのほうがおもしろいですよ。「やってみなさい」と、同年代には言いたいですね。

頭で理解はするけど、実践できない、という人が多そうです。

中根さん常識だって時代によって変わります。自分の時代の価値観に固執せず、若い人から学んだほうがおもしろいですよ。ただ、人間は自分の経験に照らしてしか理解ができないんですよね。だから一番いいのは、若い人に任せることです。国や組織の方向性を決めるような、大きなことこそです。

それを実践できない人は、さらに多いような…。

中根さん:僕は、あらゆる世界において、年寄りはさっさと引退すべきと思っています。特に組織の上のほうは、ポジションの数が決まってるわけですよ。「じじぃ、どけろよ」と。年とってエラくなっちゃうと、誰もそう言えなくなりますよね。だから、一定の年齢になったら無条件で引退とするのがいい。

無条件で。

中根さんじゃないと、俺の場合はまだまだやれるだの、後進が育ってないだの言うじゃないですか。

は、はい。よく聞きます(笑)。

中根さん生き方に自信を持ってきたのはいいですよ。でも、そこに固執して自らの価値観を譲れない年寄りが、若い人の邪魔をしてる。これまでの功績は立派でも、若い人があらたな文化をつくっていく上で、居座り続けると邪魔なんです。

日本の、エラい人の面々を思い浮かべると、みんなその、一定以上の年齢の男性で、昭和のままみたいですよね。

中根さんあの単一性は、見ていて本当に嫌ですね。停滞して当たり前。デジタル大臣というあたらしいポストの、コロナの初動対応のときの台湾との違いが象徴してましたよね。

あぁ、あれは、本当に。

中根さん次の時代のため、子ども食堂でお弁当配っても問題が解決しないことは僕らだってわかっています。政治がすべきことは多いけど、まずはとにかく若い人に交替しろと。

日本でも、さかんに多様性と言われるようになってきましたが、その割に膠着していますよね。

中根さんこれからはますます、多様な人の多様な生き方を包括する社会でないと、豊かになれないと思います。現在の尺度では一見優秀に見えない人も、文化の一端を担っているはずなんです。尺度だって変わっていきますし、役に立つとか立たないとか変な常識の物差しで測ってはダメですよね。「こういうのがきれいな花だ」と決めて同じような花ばかり育てようとせずに、どんな花が咲くか、みんなで咲かせてみましょうよと。みんなのためにそのほうがいい。

人を押し退けてでも成功するのをよしとする価値観の中にいた方とは思えません。リタイア後、濃い時間を過ごしてこられたのではないですか。

旅行先のカンボジアにて、伝統ダンスのダンサーの皆さんと記念写真におさまる中根さん、奥さまの由美子さん。

ケンカばかりだけど、いつも夫婦一緒に

中根さんいやいや、知らないうちにこんな年になった、という感じです。60歳からはあっという間でした。気負ってやってきたこともありません。同年代には反面教師も多くて、思うところがあるだけです。

お話ししていて、後期高齢者という感じがしないです。

中根さん年をとると、「昨日歩いて疲れたから」とか、「今日は雨だから」とか、ちょっとしたことで「家でゆっくりしたら?」と、労わる声がたくさん聞こえてくるんです。「あぁ、そうだね」なんて一日中家にいたら、明日死ねるかもしれないという感覚になります。心身共に、動かしていないと死んじゃうなと。だからできる範囲のことをやり続けながら、日々を送っています。

なんというか、自然体、ですよね。

中根さんこだわりすぎないようにしているからですかね。

ご自分の性格を、どう思われますか。

中根さん楽天家、でしょうか。

あまり悩むことはない。

中根さん自分のことでは、ありませんね。どれも捉え方次第、考え方次第だと思えるので。家族が悲しそうにしていたり、落ち込んでいたりだと、そうはいかず、自分もつらくなります。女房や娘がつらいのが一番つらいですね。自分に起きることは、まぁ、いいです(笑)。

なんとおやさしい!楽天的なのはいいけど、自分がつらいときに、それに対しても楽天的な父親とか夫は、やっぱり嫌ですもん(笑)。

中根さんそれが、女房のほうは心配性で、だからよくケンカになるんですよ。僕が、石橋を渡るとき、ちょっと叩いて確認すればいいだけなのに、それもしないのが信じられないと言います。「心配すべきことまで心配しない」って。僕にしてみれば、叩いたら渡れなくなるでしょと。そんなに心配したら何事もやるのが怖くなるのに、よく心配できるねと(笑)。

あはは。そこは真逆のタイプなんですね。

中根さんだから補い合えて、逆に相性がいいと周りからは言われるんですけどね、僕らはそれで年中ケンカしてますよ(笑)。

でも、ちいきむすびのこともご一緒になさってますよね。

中根さん一緒に動くのはまったく苦になりませんね。うちは旅行も、習い事の書道も、ずっと一緒です。それが自然だし、楽しいです。ケンカばかりだけど、仲がいいとは言われます(笑)。

とっても仲がいいのだと思います(笑)。奥さまを大事に思われているのも伝わりました。

中根さんそうですね、日ごろ口にはしませんけど、やっぱり、家族のことは大事ですね。

洋服はすべて由美子さんの見立てだそう。「自分で選んで買うと怒るんですよ」と。
これからも、ご夫婦仲良く!

編集後記

そのような言葉は使われませんでしたし、気負いのない中根さんですが、「美学」なんだろうと思います。すっきり引退して、断捨離して、有形無形の、手放すべきと思われるものを手放す。こだわりすぎず、変わることを恐れず、学び続ける。かっこいいです。そしてこれは美学とはまた別ですかね、端々に、弱い立場の人へのやさしい眼差しを感じました。
埋まらない空白に悶々とする時間もあったようですが、ご夫婦仲良く、地域で「違う国で生きているくらい」の刺激を受けながら、埋められそうですよね。
いやぁ、理想の老後とは、こういうのを言うのでは。見習いたいこといっぱいでした。

(2022年10月インタビュー)

他のインタビューを読む