じぶんインタビュー

子どものころから
宇宙と金属が好き。
40代、もがきながらも
選んだ道を行く

宮本卓(みやもと・たく)さん

Creative Works 代表/宮本溶接塾 塾長/一般社団法人リーマンサットスペーシズ 代表理事

1978年東京都生まれ。東京工業大学大学院修了 工学修士。専門は金属工学。大手鉄鋼メーカーにて7年間、研究開発から製造現場まで幅広く従事した後、実家である宮本工業所にて溶接の修行。2012年、独自のものづくりを発信する場としてCreative Worksを立ち上げる。東京都内の金属加工会社が協働する「東京町工場ものづくりのワ」に、立ち上げから事務局として参画。東京都立城東職業能力開発センター溶接科講師、宮本溶接塾塾長として職人の育成や企業単位での技術の向上を支援する。
平成24年度東京ものづくり若匠(溶接)認定。2女1男の父。趣味は宇宙開発。

open_in_newCreative Works

町工場の息子は、宇宙飛行士を夢見た

実家が金属加工の町工場を営んでいたので、ものづくりが身近で、僕も小学生のときから、ミニ四駆を改造するような子どもでした。学校の勉強も好きで、机にはよく向かっていましたね。中学でも塾に通わずひとりで黙々と、得意だった理科は毎回満点を目指しました。考えることが好きだったんです。将来の夢は宇宙飛行士でした。星座も好きでしたが、NHKの『地球大紀行』という番組を観て、宇宙の成り立ちに惹かれたのがきっかけだったのかな。宇宙飛行士なんて、いかに大それた夢だったかいまはわかりますし、望む人ではなく望まれる人がなる職業だと思っていますが、東工大に進学したのも、宇宙飛行士になるための要件に、理工系出身者というのがあったからなんです。

東工大では大学院まで進んで金属工学を修めました。家業のためのように見えるでしょうが、継ぐつもりもなかったので、自分としてはまったくの偶然です。いまのキャリアにしても、当時は少しも描いてはいませんでした。無謀にも新卒でJAXAを受けて、当然落ちて。入社したのは大企業でしたが、宇宙関連事業と名のつくものはありませんでしたね。宇宙は遠い夢となりました。一方で、社会に出て、世のものづくりの仕組みを目の当たりにしたことで、大きな企業も、町工場をはじめとする中小零細に支えられていると実感しました。自然と家業が思い出されたし、いわゆる格差も気になりだしました。毎日、一日中穴開け作業を行っている人がいることの意味が、自分の中で膨らんできました。

大手企業退職→町工場で修行→独立

自分で手を動かすのも好きだった僕は、結局7年で退職して、実家の町工場で働き始めました。その時期は溶接の修行期間にもなりました。大学院まで行って金属を学び、社会経験も積んだので、町工場でもそこそこ戦力になる人材だろうと自負していたのですが、その認識は見事に打ち砕かれ、できないことばかりだと思い知ります。それでも地道に現場作業に取り組んで技能が身についてくると、自分の強みもわかるようになりました。ベテランの職人さんは、理屈抜きで、匠の技としてできてしまう。その感覚には容易には追いつけません。でも僕は、例えば溶接するとき、その金属がどう溶けてどう固まるかを理屈で考えることができる。性質や理論がわかれば、早く、うまく習得できることもある上、人に説明することもできて、そこはアドバンテージだなと。

そのまま家業を続けることもできたのでしょうが、周囲とのつながりの少なさと、ルーティン化した日々に悶々とするようになっていたころ、宇宙好きのサラリーマンが「自分たちで宇宙開発をしたい!」と始めたばかりの「open_in_newリーマンサット・プロジェクト」に出会います。関わりを深めるうち、運営母体として2016年に設立された一般社団法人リーマンサットスペーシズの代表理事に推していただくことに。町工場のあらたな可能性を見出せるかもしれないとの思いもありお引き受けして、うちの実家の工場の二階に、メンバーたちが集うようになりました。これまでに、10センチ角ほどの超小型人工衛星を2度宇宙に送り出し、憧れだった宇宙飛行士の、向井千秋さんにお会いすることもできたんですよ。宇宙がだいぶ近くなりました。同じころ、都内の金属加工の町工場が協働する「open_in_new東京町工場 ものづくりのワ」の事務局を担うことにもなって、僕もいよいよ、家業からのひとり立ちを決めました。

もっといろんなチャレンジができて、
再チャレンジもしやすい社会に

正直ずっと、楽ではありませんでした。でも最近は特にもがいています。最大の課題は、自分のマネージメントです。いろんな仕事をいただいて、助けてもらいながらこなすのが精一杯。問題は仕事の量なのか、質なのか、あるいは自分の体力なのか、棚卸しが必要な時期にきていると感じています。それなりに社会にインパクトを与えられる組織づくりをしたくて、体制を整えたいのに、常に目先の忙しさに追い立てられている自分の至らなさに焦りを感じます。そうではあるのですが、大企業にいたころとその後の大変さは種類が違います。僕に関して言えば、成果も責任も自分で引き受けるほうが性に合っていたのは確かだと思います。大きな組織で10年、20年頑張って優秀な歯車になるより、小さくても自分の組織をつくってみたかったんですよね。だから、あくまで僕にとっての、という意味ですが、大変でも進むべき道だったと納得しています。

同窓会で再会した大学時代の仲間は、みんな大手企業に所属していて、年収を知ると「おおっ…」となりました(笑)。あまりの開きに打ちのめされて、自分もあのまま会社に残っていたら…という思いが一瞬よぎりましたね。一方のあちらも、看板なしに自分の力で仕事をつくっていく僕の生き方を、ちょっとまぶしく見ているところもあるんだと思います。僕らの間ではよく知られる月刊誌『日経ものづくり』(日経BP社)の表紙に僕の名前が載ったり、6ページの特集を組まれたりしたことがあって、それを知った後輩が取り寄せて読んでくれたと聞いたときはうれしかったです。大きな組織でこそ味わえる醍醐味もあるし、その中でいきいきとやれるならなんの問題もないと思います。疑問を感じるのは、そこで頑張っている人にではなく、いまだ固定化された世の価値観。高学歴、高収入の先に、そんなにいいものがあるのかと、そこをゴールにしていいのかと、問うていきたい思いが強いです。もっといろんなチャレンジができて、再チャレンジもしやすい社会にするために一石を投じたい。

宮本溶接塾では、個人に手ほどきするほか、企業に出向いての研修にも対応している。

組織づくり仕事づくりに邁進。
早期リタイアの後は・・・

長年、職人の、社会的な地位を向上させたいと思ってきました。そこにもつながりますが、会社に依存しない働き方ができる職人を増やしたいです。職人を囲い込む従来の会社組織的やり方はしたくないので、ここで力をつけて巣立ってくれていいです。「会社員としてやっていくのはつらいけど、会社を辞めていきなり独立するのはリスクが大きすぎる」と考えている人は少なくないですよね。宮本溶接塾は、そんな人を思いながら立ち上げました。純粋な習い事として通ってくれるのももちろん歓迎しますが、溶接職人は需要に対して足りていないことですし、この技術を習得すれば、生きていく上で安心感が増しますよね。10年で1000人の卒業生を輩出して、そのうち10人くらいとは、いつか一緒に仕事ができたらいいなぁと思っています。

子育てをしてみてよくわかったのですが、僕は自分自身が成長したい意欲より、人の成長を助けたい思いのほうがずっと強いんだなと。組織や、場をつくりたいというのも同じ思いからです。仕事って結局、誰かのためにするものじゃないですか。僕もずっと、やりたいことを仕事にしたいと思ってきて、その意味での自己実現を、自分だけで完結するものと捉えていたのですが、そうじゃないんですよね。求められて初めて仕事になるのだから、つまり仕事って、相手がいてこそ得られる役割にほかならないのだと、あるとき気づきました。相手がいて、つながりがあるから、自分の立ち位置が生まれるんですよね。僕は、いまやっていることについては50歳手前の早期リタイアを目指しているので、あと5、6年、自分がいなくても回るような組織づくりと、これまでの製造業にはなかった発想の仕事づくりに邁進したいです。その先は、自分にとってこれと思える、未知のチャレンジを続けつつ、家族との時間をさらに大事にしたいなぁと。そのためにも、価値観を共にできる、あたらしいものづくりのありかたを一緒に考えて実行してくれる人と出会いたい。ここは力の限り声を大にして、「お待ちしています‼︎」。

宮本塾長の解説はわかりやすいと評判だそう。

編集後記

溶接塾塾長の宮本さん、溶接専門のYouTubeチャンネル、その名も「open_in_newYouseTube」を拝見すると、青空の下で息子さんとたわむれる、ほのぼのした姿のオープニング。メディアに登場する機会も少なくなかった宮本さんですが、どちらかというと控えめで、ふだんはあまり、熱く語る方ではないのだと思います。今回は、「これまで思いを語ることをしてこなかったのですが、現時点の自分を記録しておきたいと」と、『じぶんインタビュー』をご依頼くださいました。

黙々と金属に向き合う姿は、机に向かった子どものころの姿を想像させ、地道な積み重ねをしてきた人だけが持つ背中を見た気がしました。

(2021年10月インタビュー)

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